KOEHIRO~声を拾う・広める~

【KOEHIRO】は、様々な「声を拾う」「声を広める」という意味を込めています。夫婦関係や両親との関係、自分が普段の日常で思うことや仕事に関してなど、幅広く様々なことを書いて行こうと思います。*2020年1月からブログ再開しました☆ここから5年間自分を肯定し続けたら夢は叶うのか?なりたい自分になれるのか?書いてみようと思います!「人生はいつからでも好転出来る」を体現出来たらと思っているので、良かったら応援して頂けたら嬉しいです☆

私は会いたい人には会う!やりたいことはやる!後悔しない生き方に気づいたきっかけ。

どちらかと言えばインドア派の私。

 

しかし、最近では周囲の方から、「アクティブだね~」と

言われることが多くなりました。

 

果たしてそうなのかと考えると・・・

基本的には、家でじっとしているのも好きですし、

まったりしたい派なのには変わりはありません。

 

でも、本能で「この人に会いたい!」「これを今やりたい!」と

感じた時は、すぐに行動するようにしています。

 

その時の私は、自分でもビックリするくらいのスピード感が出ます。

自分の直観の声が聞こえた時には、

「断られるかな」とか「嫌がられるかな」というマイナス感情は

何故か一切なくなってしまうのです。

 

それも全て「後悔したくない」から。

 

そういう気持ちになったのにも、理由があります。

それは、さかのぼること夫とまだ結婚していない時のこと。

 

その時、母方の祖母は癌で遠方の病院に入院していました。

母方の方では、従兄弟を含めて孫の中で、唯一の孫娘の私。

 

祖母には七五三、成人式の姿を見せてきました。

そしていつかは結婚式の花嫁姿を見せることが、

私に出来る唯一の祖母孝行かなと、物心ついた時から思っていたのです。

 

しかし、祖母は癌になりました。

 

今の夫と付き合って、3年目の頃。

まだまだ社会人になりたての私達に結婚は

もう少し先の話のような気がしていたのですが、

花嫁姿を見せたいという気持ちはとても強くありました。

 

そんな私の気持ちに気づいてくれていた彼はある日、

「一緒に病院に行かせてくれないかな?」と言ってきました。

 

彼はどんな想いで「病院に行きたい」と言ってくれたのか

その時の私にはわかりませんでしたが、

でも純粋に、まだ付き合っているカップルなのに、

そんなことを言ってくれたことや、祖母の喜ぶ姿を想像すると、

本当に有難いという気持ちでいっぱいでした。

 

そして後日・・・彼と一緒に病院に行くことにしたのです。

 

すると、彼を見るなり祖母は嬉しそうに

「結婚式はいつなの?」といきなりの質問。

 

(え!?どうしよう。。。)

 

少し困りながら

私「うーん。まだ決まってないんだけど、ゆくゆくね。」

と答えました。

 

すると彼は、

 

彼「来年には結婚したいと考えています。」

と。

 

今考えれば、この時が1回目のプロポーズだったのかなと思ったり。 

 

祖母はより一層嬉しそうに、

「あんたは幸せにならなきゃいけないよ」

と何度も何度も私に言いました。

 

出来るだけ、祖母に会える時は病院に行くようにはしていましたが、

この時丁度、私が役員になったばかりの頃でした。

 

平日はもちろん夜まで仕事だったので、

なかなか行くことが出来ません。

だから、行くのはどうしても土日の休日のみ。

 

とある日の休日。また彼と祖母のいる病院に行きました。

 

病室に入ると、既に先に来ていた両親の姿。

 

祖母の方を見ると、何やら今までと様子が違うようで、

明らかに身体を痛そうにしています。

 

私は胸が張り裂けそうになりました。。。

 

私はとっさに祖母の手を握り、

私「おばあちゃんの手って綺麗だよね」

そんなことしか言えませんでした。

 

すると祖母は、

 祖母「そうでしょ。ふふふ。」

にっこりと笑いながら、私を見ました。

 

祖母は指がスッと長くとても綺麗なことが昔からの 自慢だったので

本当に嬉しかったのか、もしくは私を安心させようと

していたのかもしれません。

 

その後、しばらく両親と彼と私で病室にいましたが、

日が暮れてきたので帰ることに。

 

いつもと違う祖母の姿に胸騒ぎがした私は

帰り際にポロッと「花嫁姿見せれるかな・・・」

と彼の前で呟いてしまいました。

 

それを聞いていた彼は迷うことなく

彼「じゃあ、見せようよ!」と。

 

(えっ!?)

 

彼「結婚式やろうよ。」

 

私は少し驚きましたが、純粋に嬉しかったのを今でも覚えています。

もしかしたら、後押ししてくれるこの言葉を

私は待っていたのかもしれません。

 

これが、自分の「自己満足のため」なのかとも

色々と悩みましたが、とにかく「後悔」はしたくなかったったので、

私達は病院の付近にあるレンタルドレスのお店に向かったのです。

 

ドレスもタキシードもイマイチで、

彼のタキシード姿にクスっと笑ってしまいましたが、

祖母に「花嫁姿」を見せれると思うと、

とても嬉しい気持ちになりました。

 

レンタルの予約は、来週の土曜日。

 (準備する時間も必要だし1週間あれば色々出来るかも!)

私はそう思っていましたが、

 

その時、彼はこう言ったのです。

「今行かなくて本当に良いの?」と。

 

私「いいよ、来週みんなが来てくれたところでやろう。もうお母さんもお父さんも帰っちゃってるし。」

彼「みんながいなくても良いんじゃない?今やれることは今しなくて後悔しない?」

私「でも・・・。」

 

彼の言葉に少し迷いましたが、結局私は・・・

 

私「やっぱり今日は良いよ。来週素敵な式になるように1週間で色々準備したいから」

 

そう言って、ウェディング姿を見せる日を

この日から丁度1週間後の土曜日に設定したのです。

 

このことを両親に話すと、彼のことも学生時代から

知っていたこともあり、賛成してくれました。

 

その後の1週間はというと、

仕事の合間に病院に連絡して食堂の貸し切りをお願いしたり、

夜、曲を準備したり、手紙を書いたり、小物を作ったりと

着々と準備を続けました。

 

どうやら母もひそかに、親戚や従兄弟に配る

プチギフトを用意してくれたりしていたようで、

私は後々このことを知ることになります。

 

 

 

みんなが楽しみにしていた病院内での結婚式でした。

 

 

 

 

事態が急変したのは、金曜日の早朝4時頃。

 

 

寝ていた私に聞こえてきたのは、誰かが大泣きする声。

ハッ!とめが覚めると、やはり聞こえてくる悲しい声。

 

私は自分の身体が震えはじめ、サッと一気に血の気が引くのを感じました。

 

慌てて自分の部屋から出ると、

そこには電話機の前で倒れ込んで泣いている母親の姿。

 

 

もう何も言わなくてもわかります。

 

 

私は、「行こう。とにかく行こう」と母に言い、

もうあとは泣くしかありまんでした。

 

 

まだ車通りも少ない中、家族で病院に行くと

そこにはもう動かなくなっている祖母の姿がありました。

 

 

私は、声が枯れるまで病室で泣きました。

 

 

祖母も楽しみにしてくれていた結婚式まであと1日。

私は、何故先週の土曜日に、せっかく彼が「今じゃなくていいの?」

と聞いてくれたのに、「来週で良いよ。」と答えてしまったんだろうと、

深く深く深く後悔し、自分を責めました。

 

 

土曜日を楽しみにしていた母が、目の前で悲しみに

押しつぶされそうになっている姿に、胸が苦しくなりました。

 

 

その時の「後悔」の気持ちは今でも決して忘れられません。。。

 

 

 

そして、あの出来事があってから、

私は、自分の心の声が聞こえたら、

「会いたい人には会いに行く」し、

「やりたいことはやる」と決めたのです。

 

心の声を聞いていると、「本当に会いたい人」は、

有名人でも、大スターでもなく・・・

 

両親や兄弟、恩師や仲間が多いことにも気づきました。

 

いつでも会える存在だからこそ、

今までは後回しになってしまっていた身近な存在こそ

一番「感謝」を伝えなければならない

相手なんだということに気づきくことが出来たのです。

 

 

 

当時の「彼」は現在、私の「夫」になりました。

普段はあまり話も聞いてくれませんが、

私の心の声をくみ取ってくれた夫には、本当に感謝しています。

 

 

これからの私の人生、

後悔しないための生き方を祖母が教えてくれました。

 

「会いたい人には会う!」「やりたいことはやる!」

そして、それが常に誰かのため繋がっている・・・

そんな生き方をしていきたいなと私は思います。

 

つづく